タオルをつくること タオルをつくるひと スーピマ24【vol.2】

タオルをつくること
タオルをつくるひと

スーピマ24(にいよん)【vol.2】

タオルのプロが「大好きなタオル」と太鼓判を押したスーピマ24。作り手の視線から、スーピマ24を語ります。

タオルをつくること タオルをつくるひと スーピマ24【vol.2】

スーピマ24が出来上がったとき、熊取谷さんが「大好きなタオルができました」と太鼓判を押してくれました。厚みも、やわらかさも大好きだと。この人がそう言うのなら、まちがいなくいいタオルだ。そう確信した瞬間です。

タオルの名手との出会い

熊取谷さんはオーガニックコットンの天衣無縫が始まるよりもずっと以前から新藤のものづくりを支えてくれた、タオルづくりの名手です。タオルの名産地泉佐野で熊取谷さんと出会い、タオルという織物の奥深さに魅せられたのだと代表の藤澤は言います。
熊取谷さんと藤澤が出会ったのは、今から30年以上も前のこと。
ちょうど二人が出会ったとき、新藤は帯締めや足袋、草履といった和装小物を中心に、傍らでタオルを扱う卸売問屋でした。和服を着る人もずいぶん少なくなった、昭和の終わりごろです。店頭で日々減っていく和装小物需要、一方でタオルはだんだんと売り上げを伸ばしていきました。
和服を着る人は減りましたが、タオルは赤ちゃんからお年寄りまで誰もが毎日使ういます。毎日使うものならば、時代や流行にかかわらず必要とされ続ける。そんな思いから、取り扱いの比重をしだいにタオルへ傾け、藤澤も産地へ足しげく通うようになりました。
そこで出会ったのが熊取谷さんです。


熊取谷さんと藤澤の二人にとって思い出深いタオルは「コーマ糸のカラータオル」です。
当時のタオルは現在ほど肌触りや吸水性を求められるものではなく、いうなれば消耗品でした。品質の良さよりも低価格が求められた時代です。
「40年前まではね、タオルはお仕着せだったんですよ。タオル屋さんが作ったものを、お客さんは黙って買うしかなかった。それしか選択肢がありませんでした」
そんなタオル作りの現場で、熊取谷さんはコーマ糸のカラータオルに携わりました。
コーマ糸、しかもカラーバリエーションのあるタオルというのは、当時としては大変珍しいものでした。
一般的に糸はカーディングという不純物を取り除く工程を経て作られ、コーマ糸とは、カーディングのあとにさらにコーマ=櫛で梳かすように、短い繊維を落とし、繊維の長さを揃えて作られた糸のことを指します。手の込んだ、カード糸よりもひとつ格上の糸です。
消耗品扱いであった当時のタオルにはカード糸、つまりコーマの工程を経ていない糸が使われることが多く、またそのほとんどが白でした。
コーマ糸は不純物が少ないために表面がきれいで、熊取谷さんはこの糸が大好きだったそうです。
質のいいコーマ糸を使い多色染めをしたカラータオルは、大変人気が出ました。人気の秘密を、熊取谷さんはこう語ります。
「とても華やかなタオルでした。それまでは好みもへったくれもなかったのに、お客さんが好きなものを選べるようになったんです」
藤澤も「きれいなタオルだった」と今でもよく話します。白タオルが中心だったところへ現れたカラータオルが、どれほど印象深かったのかを二人の話からも推し量ることができます。
質のいい糸で作られた美しいタオルは、お客様に喜んで受け入れられ、大人気になりました。
そして、このカラータオルに使われていた糸は、24番手のコーマ糸だったのです。

「24」の数字に込めた、創り手の想い

お仕着せからオーダーメイドへ。消耗品から生活用品へ。
タオルはこの数十年の間に、単なる日用消耗品から使う人の好みに照らし、ライフスタイルに合わせて選びとるものになりました。
オーガニックな生活用品を作り続けてきた天衣無縫があたらしいタオルを作るなら。そう考えたとき、熊取谷さんと藤澤の頭に浮かんだのは、かつてコーマ糸カラータオルが誕生した時の喜びでした。
使いやすく、美しいタオルを作るべく試作を重ね、出来上がったのがスーピマ24です。パイル糸はスーピマコットンをごくやわらかくより合わせた甘撚りに仕上げ、軽さとボリュームのベストバランスを追求した糸の太さは、かつてのコーマ糸カラータオルに敬意を表した24番手。
スーピマコットンのなめらかなつやと豊かな発色性を活かした全9色は、オーガニックコンテンツスタンダード基準を満たした染料によって染められています。
毎日の暮らしに、オーガニックな彩りを。24時間あざやかなオーガニックタオルができました。

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