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寒い日はご用心

寒い日はご用心

こちらは寒中の月。

余寒お見舞い申し上げます。
今回の冬は、これまでのところわりあい暖かですね。
天気予報をしばらく見ていないので、平年より暖かいのかそうでないのか、正確には存じあげません。が、体感的には暖かな冬だなと思います。
前回の冬は自転車のハンドルから手を剥がすのがなかなか大変だった記憶がありますが、昨年から今年にかけてはそこまでのこわばりやかじかみを経験しておりません。
とはいえ、暦と経験をかんがみるに、寒さはこれからが本番です。
お気を付けください。

寒中二小猫ノ尾ヲ踏マズ

「寒中小猫不踏尾(かんちゅうにこねこのおをふまず)」と申します。
これは「(寒い日には猫の尻尾を踏む場合があるので)気をつけよ」という警句であり、また「寒い日に猫の尻尾を踏まないことがあるだろうか(いや、ない)」という反語でもあります。
寒いと猫の尾を踏みやすいのはなぜでしょう。
結論から申し上げます。
寒い日に猫の尾を踏みやすいのは、手足など末端の感覚が鈍るためです。

寒さと感覚の仕組み

人間は主に代謝熱によって体温をまかなっております。
体内の温度を三十七度前後に保つことができるのは、代謝と自律神経の反射によります。
「寒い」と感じると、脳内のど真ん中やや前方に位置する視床下部から、熱を体外に逃さないように指令が出ます。
この指令により末端の血管を収縮させ、体内の熱が外に逃げないよう出口を塞ぎます。
なぜ熱を逃がしてはならないか。
それは、体内温度の低下は多数の臓器に深刻な影響を及ぼすからです。

脳や心臓といった重要な器官は、20度まで低下するとその機能を停止します。
そうなってしまっては大変なので、視床下部からは体内の熱を外に出すなという指令が下るのです。
冬は綿入れ・湯たんぽ・手近な猫などを活用し、家から一歩も出ないというのは、視床下部からの指令に忠実に従った結果の、非常に用心深い行動と言えるでしょう。

冗談はさておき、視床下部からの指令により血管が収縮した結果、体表や末端は血流が滞り青白くなります。顔や手足の色が悪くなるわけですね。
末端の温度が下がると、感覚が鈍ります。
寒い日に自転車に乗っていて、降りた後にハンドルから指を引き剥がすのが難しかったりする理由はこういうことでした。うまく力が入らないのです。

このような現象から生まれた警句が冒頭にご紹介しました「寒中不踏小猫尾」。

寒さで血液が体感に集中すると、末端の足先は冷え、感覚が鈍っています。
猫という動物は人間に比べると小さく、また動きも静かです。
ですので、小さく静かな生き物がすぐそばに寄ってきていることに気づかず、
悪気なく・うっかり、その尻尾をぎゅうと踏む、という悲劇が起こるのです。
この漢文は、小さなものを不用意に傷つけまいという反省により生み出されました。

ご存知のない方がほとんどでしょう。
そのはずです。
こちら、造語ですから。

寒いと鈍感になる?


ええと、申し訳ありません。
騙したり、担いだりするつもりは一切なかったんです。
悪気はないんです。
できればお怒りにならず、この先も読んでいただければ嬉しいです。

さて、天衣無縫ということわざは、もとをたどれば漢文です。
ブログの全面リニューアルに伴い、新しくコラムのコーナーが始まりましたので、
せっかくなら「天衣無縫」の縁起にあやかり、漢文調のフレーズでスタートを切りたいと思い、がんばって考えました。
それらしく見えていたでしょうか。

故事、というには日は浅いですけれども、実際に起きたことではあるのです。
月あたま、足元を暖かくして、ストーブのそばでぬくぬくとしていました。
静かな夜でした。
ところが、猫はそれ以上に静かでした。
なので、ひっそりと寄ってきていた猫の尻尾が、そっと足の下に仕込まれているなんて気づかなかったのです。
悪気などもちろんありませんでしたし、十年飼っている猫ですから、愛着もあります。
でも、ぎゅっと踏んでしまいました。

たいそうびっくりして、ごめんごめんと謝りながら、なんと気づかないことが多いのかと考え込んでしまったのです。

どうして気づかなかったのか。
それは、寒さと厚着のために足の感覚が鈍くなっていたからだと思います。
まあまあ寒い夜でしたから、全身の血液は、体の中心部へ集まっていたことでしょう。
厚い室内履きは、冷たい床から足裏を守るためでもありました。
まさかそのせいで猫の尻尾を踏んでしまうとは、思いもよりませんでした。
いえもちろん、こちらの不注意が一番の理由なのですが。
ただ、これがもし夏で、素足であったなら、もちろん踏む前に気がついたはずです。

人間は視覚・嗅覚・聴覚・触覚・味覚の五感に因って外界の状況を認識しています。
五感が及ばない部分を知ることは、基本的にできません。
そして五感のうちいくつかは、無意識のうちに鈍っていることがあります。
たとえば、なにかに集中している時、とか。

感覚が鈍る理由は様々です。
生活するのは、ただそれだけで忙しいものですから。
仕事や家事を始め、趣味、夢や希望、人生の目標などなど。
目の前に追われて、目の前をこなすのに精一杯になることは多くあります。
やりたいことに一生懸命になっている状態は、体幹に血液が集まっている状態に、どこか似ているように思います。
末端に血が巡っていない場合があるのではないでしょうか。

遠眼鏡としてのオーガニック

綿花の生産国を探して地球儀を回すと、日本からはずいぶん離れているのだと実感します。
一生の間に、これらの国へ行くことがあるだろうか、と考えました。

オーガニックの遠眼鏡を使えば、行ったことのない場所、会ったことのない人のことを覗き見ることが可能になります。

オーガニックコットンは、畑から製品になるまでの間に、さまざまな人の手を渡ります。
GOTSやOCSといった国際認証を取得したオーガニック製品であれば、TCという商取引証明書によって、たしかにオーガニック製品が受け渡されたという履歴を追うことができます。
実際に生産の現場がフェアであることは当然として、このようなトレーサビリティーは、オーガニック製品を扱う上でとても大切なもののひとつです。

わたしたちは日々考え、五感を使って行動しています。
その五感は、時によって揺らぎ、鈍くなる場合があります。

だからこそ、見逃しているものはないか。
小さくて細い尻尾を踏んではいないか。
自分の行動は、巡り巡った時にどんな影響になりうるのか。
毎日でなくとも、いつもでなくても、せめてときどきは気にしていきたいものです。

トレーサビリティーで扱われるのは「情報」です。
情報を読み取ることによって、実体験のみに頼らずとも、多くの事実を知ることができます。
「いつも」や「ここ」からの五感では及ばない部分を知る。
そのひとつの手段として、オーガニックがあればいいと思っています。

このコラム「フィールドワーク」は、「畑仕事」の語源に基づき、現場の日常あれこれを通して、少し離れた世界を透かし見ることを目的としています。

オーガニックは遠い理想ではなく、
この足元や手の先にいつもつながっているものだという実感と共にお送りいたします。
どうぞよろしくお願いいたします。


現場からは以上です。

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